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言葉の多寡 

叱る時の言葉も多すぎてはいけないと思う。

田口ランディブログより。

(前略)
子供にもそうだ。
相手が呑み込めない言葉の量をだらだらと語ってしまう。大人にはありがちだ。
しゃべり始めると、相手が理解していないような気分になって、
どんどんしゃべってしまう。こちらもビョー気だと思う。
子供や老人や病人は、ちょっとずつしか食べられない。食べ物も言葉も。
そのことをわからないで、がんがんしゃべってしまうことがある。
気をつけなくちゃ、と思うのだが、つい、やってしまう。

今日もしゃべりすぎたなと思う。父は私の言葉を全部呑み込むことは無理だろう。
無理なものを呑み込むとお腹をこわして下痢をするのだ。
食べ物も言葉も同じだ。
少なめに、適切な量を、シンプルに……だ。

ゆうべは子供とも話した。塾についてだ。
子供は私との会話を「心の会話」と呼ぶ。笑ってしまった。
もう少し、言葉が少なくても良かったのだが、しゃべり過ぎた。
しかし、夫はもっとしゃべる。両親でがんがんしゃべるのだから、子供はいっぱいいっぱいだろう。まったく、困った親である。
会話の言葉をもっとていねいに、少なく。子供が呑み込める量を……と思うのだが、
これまた難しい。

見ていると、大人の言葉が過剰だ。
教師も、両親も、とてもたくさんしゃべる。私のように。
子供は言葉で満腹だろう。
ふりかえって、私はあまり過剰にしゃべる相手が好きではない。
黙って聞いてくれて、シンプルに言葉を選ぶ人を好きになる。
なのに、自分はそれができない。
未熟だ……。
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