スポンサーサイト 

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

人物と偶像。 

伊豆旅行楽しかった!楽しかった、というより楽しすぎた。

冷静に振り返ると温泉はいるくらいしかしてない気もするけど、楽しすぎたんだからしょうがない。

天気が悪いのもご愛嬌だよね。気兼ねしないでする旅行ってほんとたのしい。

ディズニーにも行こう!



んで、まったく別の話をちょっと書きます。本を読むって、いろんなことを考えるきっかけに

なると思うんだよね。そこが好きなところでもある。で、そこは特に言いたいことじゃなくて、

それをきっかけにして色々考えてみたことを。


 今って、きっと昔よりもうまく生きることができてると思う。うまく・・・うーん、ちょっと

違う気もする。なんて言ったらいいんだろうな、ずるい・・・うーん、それも違う気がする。

感覚の言語化ってほんと難しい。でも、きっと昔よりも器用に生きることができてる気がする。

あ、これかも。言い忘れてたけど、対人関係においての話ね。

 具体的に言うと、自分の対人関係においてのやり方というかスタンスが自分でわかってきた

というか、自分の対人関係のやり方において、客観的(本当の意味で客観)に見たら多少

好ましくないことも、割り切れるようになったというか、そんな感じ。そして、言い換え

れば利己的になったんだと思う。多分そう。そんな自分を見て、大人になったのかなあと

も思ったり、それでいいのかなあと思ったり、やっぱりいいんだ、って思ったり。思いやり

があることと利己的の境目ってなんだろう。自分を傷つけても他人を優先させるのは

思いやり?自分の身を守るために(ちょっとおおげさだけど)、人のことがおざなりに

なるのは利己的?いろんなシチュエーションを考えて、具体的な場面で考えれば、それらの

区切りはできると思うんだけど、それだけじゃあ考えきれない。今回挙げたこと以外でも、

生活してるなかでそういうことってたくさんあるよね。器用に生きるっていうのは、そういう

割り切りにくいことを、「しょうがないじゃん」とか「そんなもんじゃん」ってブチっと

切っちゃうことなのかもしれない。そうだとしたら器用に生きるって、楽ではあるけど

いいことなのかなあ・・・。


 自分で自分を見てるとき、外から見る自分の顔は、外から見てるもう1人の俺に気づいて、

少し戸惑ってて、自信があるふりをしてて、でもやっぱり外から見てる俺に、「それで

いいよ」って言って欲しそうな顔をしてる。
スポンサーサイト

コメント

器用に生きれる人の方が、社会的には成功するんぢゃないかって最近思うよう。実際「イイヒト」ぢゃ世の中上にはいけないんだなと。器用に生きる方が自分が擦りへらないのは分かってるんだけど、うちもそれでいいのかと迷うことも多々あるよ。

>よーこ
うむうむ。だよね。
その自分がすりへらないために器用な生き方を選択するのかね。
自己防衛の一つか・・・。そう考えると、わからんちん!

コメントください















管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

この記事のトラックバックURL
http://tanoshisugiru.blog39.fc2.com/tb.php/10-94325a6e

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。